2014年06月15日

◆日本、連続失点で1―2

〜コートジボワール戦〜

 【レシフェ共同】サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会第3日は14日、レシフェなどで1次リーグの4試合が行われ、C組で5大会連続5度目の出場となる日本はコートジボワールとの初戦で本田圭佑(ACミラン)が先制したが、後半に連続失点し1―2と逆転された。

 日本は前半、少ないチャンスを本田が決め、粘り強い守備で無失点にしのいだ。しかし、後半20分ごろに相次いで失点した。

<2014/06/15 11:38 【共同通信】>

2014年06月08日

◆天皇ご一家5日間の喪に

桂宮さまご逝去 天皇ご一家5日間の喪に
6月8日 18時19分
〜桂宮さまご逝去〜



三笠宮ご夫妻の次男で天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまは、8日朝、体調が急変し、搬送先の東京都内の病院で、午前11時前に亡くなられました。

桂宮さまが亡くなられたことを受けて、天皇ご一家は、8日から5日間の喪に服されることになりました。
このほかの皇族方も、三笠宮ご夫妻の30日を最長に、7日間から5日間の喪に服されます。

宮内庁によりますと、天皇皇后両陛下は、8日朝、側近の侍従を通じて桂宮さまの容体が急変したとの報告を受け、深く案じられていたということです。

そして、逝去の知らせを受けると、天皇陛下は喪章をつけ、皇后さまとともに、長い間入退院を繰り返してきた桂宮さまのつらさなどに、改めて思いを寄せられているということです。

同時に、両陛下は、高齢の三笠宮ご夫妻がどれほど力を落としているかと案じ、身内の方々の深い悲しみに触れつつ、喪に服す意向を示されたということです。

天皇皇后両陛下は、午後5時すぎ、弔問のため東京・千代田区の桂宮さまのお住まいを訪ねられました。
両陛下は車から降りると、沈痛な表情で出迎えた職員に会釈をしてお住まいに入られました。

これに続いて、皇太子ご夫妻も、午後6時すぎ、桂宮さまのお住まいを弔問に訪ねられたほか、秋篠宮ご一家などの皇族方も次々に弔問に出向かれました。

桂宮さまが亡くなられたことを受けて、皇后さまは、8日午後予定していた東京都内でのバイオリンコンサートの鑑賞を取りやめられました。

2014年05月10日

◆NY株の終値、史上最高値

〜1万6583ドル〜

 【ニューヨーク共同】9日のニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は前日比32・37ドル高の1万6583・34ドルで取引を終え、終値の史上最高値を更新した。

<2014/05/10 05:30 【共同通信】>

2014年04月11日

◆東証急落、一時400円安


 〜米株安で1万3900円割れ〜

 11日午前の東京株式市場は、前日に米国の株式市場が大幅に下落し、投資家の心理が冷え込んだため日経平均株価(225種)が急落した。一時1万3900円を割って、取引時間中として昨年10月以来、約半年ぶりの安値水準となった。下げ幅は一時、400円を超えた。

 午前9時15分現在は、前日終値比401円85銭安の1万3898円27銭。東証株価指数(TOPIX)は26・35ポイント安の1123・14。

 前日のニューヨーク株式市場で、米主要企業の決算が振るわないとの観測からダウ工業株30種平均が大幅に下げた。

<2014/04/11 10:04 【共同通信】>

2014年02月28日

◆詩人のまど・みちおさん死去

(2月28日 10時04分  NHKニュース)

童謡「ぞうさん」や「一年生になったら」などの作詩で知られた詩人のまど・みちおさんが、28日午前、老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。

104歳でした。

まど・みちおさんは、明治42年に山口県で生まれ、25歳のときに児童雑誌に投稿した作品が詩人の北原白秋に認められ、本格的に詩や童謡の創作を始めました。

昭和27年にNHKのラジオで放送された童謡「ぞうさん」のほか「やぎさんゆうびん」「一年生になったら」など、まどさんが発表してきた数多くの童謡や詩は、時代を越えて子どもたちに親しまれてきました。

まどさんの作品は皇后さまが英語に翻訳されて、平成4年にアメリカで「THE ANIMALS」という題名で出版され、海外でも高い評価を受けました。

平成6年には児童文学のノーベル賞と言われる「国際アンデルセン賞」を作家部門では日本人で初めて受賞しました。

国内でも野間児童文芸賞や芸術選奨文部大臣賞などを受賞したほか、平成15年には日本芸術院賞を受賞しました。

最近では、100歳を記念した新作の詩集を発表するなど現役で創作活動を続けていましたが、去年の末に体調を崩し、28日午前9時すぎ、東京都内の病院で亡くなりました。

2014年02月17日

◆確定申告スタート

〜3月17日まで〜

2013年分の所得税の確定申告が17日、全国の税務署などで始まった。対象は、給与が2千万円超のサラリーマンや給与以外に年間20万円を超える所得がある人、自営業者といった個人事業者など。13年分から復興特別所得税の申告も始まった。

3月17日まで。受け付けは原則平日のみで、一部の税務署や会場では2月23日と3月2日の日曜日も対応する。

品川税務署(東京都港区)では17日午前、俳優の高橋英樹さん夫妻と娘のフリーアナウンサー真麻さんが、パソコンから「国税電子申告・納税システム(e―Tax)」で申告を済ませた。英樹さんの初日申告は36年連続。

<2014/02/17 11:20 【共同通信】>

2014年02月11日

◆カーリング日本は黒星スタート

(2月11日 17時04分  NHKニュース)

ソチオリンピックは11日、カーリング女子の予選リーグが行われ、日本は初戦で韓国に7対12で敗れ、黒星スタートとなりました。
日本は、1点をリードして迎えた第6エンドに韓国に3点を奪われて逆転され、終盤、リードを広げられました。

2014年02月09日

◆舛添要一氏が当選確実

〜東京都知事選〜

(2月9日 20時02分  NHKニュース)

猪瀬前知事の辞職に伴う東京都知事選挙は9日に投票が行われ、無所属の新人で、自民党東京都連と公明党東京都本部が推薦する元厚生労働大臣の舛添要一氏の初めての当選が確実になりました。

東京都知事選挙の開票は、早いところでは9日午後8時から始まっています。

NHKの情勢取材や投票を済ませた有権者を対象に行った出口調査などでは、自民党東京都連と公明党東京都本部が推薦する元厚生労働大臣の舛添要一氏が、共産党と社民党が推薦する日本弁護士連合会の元会長の宇都宮健児氏や、民主党・結いの党・生活の党が自主的に支援する元総理大臣の細川護熙氏、それに、航空自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏らを引き離して極めて優勢で、今後順調に得票を伸ばすと見込まれることから、舛添氏の初めての当選が確実になりました。

舛添氏は北九州市出身で65歳。

東京大学の助教授などを経て、平成11年、母親を介護した経験から福祉の充実を図ろうと、東京都知事選挙に立候補し、石原元知事に敗れました。

平成13年に行われた参議院選挙では、当時の小泉総理大臣の改革を支持して、自民党から比例代表の候補として立候補し、158万票余りを獲得して初当選しました。

2回目の当選を果たしたあとの平成19年には、第1次安倍改造内閣で厚生労働大臣として初入閣し、続く福田内閣や麻生内閣でも厚生労働大臣を務め、いわゆる年金記録問題や新型インフルエンザへの対応にあたりました。

自民党が政権を失ったあとの平成22年に党を離れ、新党改革を立ち上げて代表を務めましたが、党勢の拡大を図ることができず、去年夏の参議院選挙には立候補しませんでした。

選挙戦で舛添氏は、災害に強い街づくりなどを進め、2020年の東京オリンピックとパラリンピックを史上最高の大会として成功させたいと訴えたほか、介護や福祉、子育てといった社会保障政策に力を入れることなどを強調しました。

自民党東京都連と公明党東京都本部が推薦し、選挙戦中盤には両党の党首が舛添氏と共に街頭演説を行うなど、全面的に支援しました。

また、民主党の支持団体である連合東京も舛添氏を支援しました。

舛添氏は、自民党や公明党の支持層のほか、特定の支持政党を持たないいわゆる無党派層などからも一定の支持を集めて、初めての当選を確実にしました。

2013年10月03日

◆訃報:河西昌枝さん80歳

〜「東洋の魔女」主将〜

<毎日新聞 (最終更新2013年 10月03日 13時19分)>

「東洋の魔女」と呼ばれた1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルに輝いた日本代表の主将を務めた河西(現姓・中村)昌枝(かさい・まさえ)さんが3日、亡くなった。80歳だった。

河西さんは山梨県出身。県立巨摩高から日紡(当時)へ。62年モスクワ世界選手権優勝。東京五輪では主将兼セッターとして、故大松博文監督の猛練習の下、チームをまとめた。東京五輪の翌年に引退。結婚後もママさんバレーの指導や講演などで競技に携わる一方、2004年アテネ五輪女子日本代表団長などを歴任。

08年には世界バレーボール殿堂入りした。11年の第60回黒鷲旗全日本男女選抜大会の際には、特別功労者表彰された。

先月、20年東京五輪招致が決まったことについては、日本バレーボール協会を通じて「今度はオリンピックをこの目で見て、最大の声援を送るつもりです」とコメントを寄せていた。

2013年08月06日

◆原爆の日 広島で平和記念式典

(8月6日 9時0分   NHKニュース)

広島に原爆が投下されてから68年となる「原爆の日」の6日、広島市で平和記念式典が行われました。

松井一実市長は、「核兵器は非人道性の極みで絶対悪だ」と強調し、日本政府に対し核兵器廃絶を訴える国々との連携を強化するよう求めました。

平和記念式典は、爆心地に近い広島市の平和公園で午前8時から行われ、およそ5万人が参列しました。

はじめにこの1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、5859人の名前が書き加えられた28万6818人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。

そして、原爆が投下された午前8時15分、平和の鐘が打ち鳴らされると、参列者全員が黙とうし原爆で亡くなった人たちを追悼しました。

平和宣言で、広島市の松井市長は、核兵器の非人道性を強調する国々が着実に増えていることに言及したうえで、「罪もない多くの市民の命を奪い一生にわたり心身を痛め続ける核兵器は非人道性の極みであり絶対悪だ」と述べ、核兵器廃絶を訴える国々との連携を強化するよう日本政府に求めました。

さらに松井市長は、「世界の為政者の皆さん、いつまで疑心暗鬼に陥っているのですか。核兵器の威嚇によって国の安全を守り続けることができるのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか」と訴えかけました。

続いて安倍総理大臣があいさつし、「日本人は、唯一の被爆国の国民として、核兵器のない世界を実現していく必要があるとともに、核兵器の非道さを後世に伝え続ける責務がある」と訴えました。
被爆から68年。

広島ではことしも平和への誓いを新たにする祈りが続いています。