2018年05月20日

◆朝丘雪路さん 死去

5月20日 6時43分おくやみ   NHKニュース

映画や舞台、テレビ番組の司会など幅広い分野で活躍し、日本舞踊の家元も務めてきた俳優の朝丘雪路さんが亡くなりました。82歳でした。

朝丘さんは、日本画家の伊東深水の娘として昭和10年に東京で生まれ、昭和26年に宝塚音楽学校に入学して歌や踊りを学びました。

昭和27年に初舞台、昭和30年に映画デビューを果たし、シリアスな作品からコメディーまで幅広い役柄を演じ、NHKの連続テレビ小説「ええにょぼ」や「風のハルカ」などにも出演しました。

また、東京や大阪の舞台で数多くの座長公演を務め、平成15年には舞台「人生ふたりづれ」で質の高い歌と踊りが評価され、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれました。朝丘さんは、3歳から習い始めたという日本舞踊でもその道を究め、現代的な感覚を取り入れた「深水流」を昭和60年に創設して家元を務めてきました。

このほか、ジャズ歌手としての活動や、歌謡曲やバラエティー番組でも司会を務めるなど、幅広く活躍して人気を集め、平成23年には旭日小綬章を受章しています。夫は俳優の津川雅彦さんです。

朝丘さんは、アルツハイマー型認知症のため自宅で療養していましたが、先月27日、亡くなったということです。
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2018年05月17日

◆西城秀樹さん死去

5月17日 12時40分      NHKニュース

「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」などのヒット曲で人気を集めた歌手の西城秀樹さんが、16日夜、急性心不全のため亡くなりました。63歳でした。
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2017年08月28日

◆羽田孜元首相が死去 82歳

(8月28日 13時22分   NHKニュース)

羽田孜元総理大臣が28日朝、東京都内の自宅で老衰のため亡くなりました。82歳でした。

羽田氏は長野県上田市の出身で、バス会社に勤務したあと、昭和44年に父親の後継として衆議院旧長野2区で自民党から立候補して初当選し、平成24年に政界を引退するまで14回連続で当選しました。

羽田氏は当選同期で、現在、自由党の代表を務める小沢一郎氏らとともに田中派に所属し、その後、竹下派の結成に参加していわゆる「竹下派7奉行」の1人に数えられ、農林水産大臣や大蔵大臣などを歴任しました。
そして、竹下派の会長だった金丸元副総裁が東京佐川急便事件で議員辞職したことをきっかけに小沢氏らとともに竹下派を出て羽田派を結成し、平成5年6月に政治改革法案の取り扱いをめぐって提出された宮沢内閣に対する不信任決議案に賛成して自民党を離党しました。

そして、みずからが党首となって小沢氏らとともに新生党を結成し、翌7月の衆議院選挙の結果、自民党を下野させて、日本新党の代表だった細川護煕氏を総理大臣とする「非自民連立政権」を樹立しました。

羽田氏は細川連立政権で副総理兼外務大臣を務め、およそ8か月で細川内閣が総辞職したのを受けて、第80代の内閣総理大臣に就任しました。

しかし、内閣の発足直前に当時の社会党が連立政権を離脱したことなどから政権基盤が弱く、戦後2番目に短い在任64日で羽田内閣は総辞職しました。

その後も羽田氏は一貫して自民党に代わる新たな政治勢力の結集を訴え、新進党の結党に参加したほか、盟友だった小沢氏と対立して新進党を離党したあとは平成8年に太陽党を結成し、平成10年1月には「国民の声」や「フロムファイブ」と合併してできた民政党の代表になりました。

平成10年の民主党の結成にも参画して、その後、幹事長や最高顧問などを歴任し、保守系のグループのリーダーとして活動しました。
民主党が平成15年に小沢氏が率いていた当時の自由党と合併してからは、一度は、たもとをわかった小沢氏の相談相手にもなりました。

そして、平成22年9月に「年齢や体力に限界があるし、悲願だった政権交代も実現できた。次の衆議院選挙には立候補しない」と表明し、平成24年の衆議院選挙に立候補せず、政界を引退していました。
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